2004/05 沖縄 - 2日目後編: 玉城〜那覇

2日目の後編、玉城(たまぐすく)村から那覇に戻るまでです。


つきしろで昼食休憩した後は南西方向に進み、「玉城那覇自転車道」 に入りました。 全長33Kmのうち開通しているのは1/3にも満たないのですが、 開通部分も雑草による侵蝕が進んでいました。 沖縄の場合、雑草の成長が速く、歩道でも草ぼうぼうになっている所が多いですからね。


玉城村の屋嘉部(やかぶ)の高台には海まで見渡せる休憩ポイントがあったのですが、 そこは雑草のため立ち入ることができませんでした。 半分雑草に埋もれた案内板が哀れです。


自転車道の通行を邪魔するのは雑草だけではありませんでした。 「玉城那覇自転車道」 は多くの部分で車道と並行している(歩道を拡張したスタイル)のですが、 駐車場代わり使われて、回り道しなければならない場面が何度かありました。 車道も通行が少ないのだから車道の端に停めても大丈夫そうに見えるんですがねえ...


「玉城那覇自転車道」 は 「玉泉洞」 の近くで終わってしまうので、 その先は丘陵の上の農道をメインに進みました。 標高50〜70mの丘陵の上は綺麗に改良された農地が広がっていました。 広々としていて沖縄でないみたいです。

農地を横切った後、もう一段高い丘に登りました。 上の写真の正面に写ってる丘で、標高は110〜150mほどです。 丘の右端には自衛隊基地、中程はゴルフ場、左側は農地になっています。 自衛隊基地の下から斜めに登る細い道があり、登りきると農道に繋がっていました。 この丘の上からの眺望もなかなかでした。


高いほうの丘の上も綺麗に整備された農地でした。 ここでは、ふーちば(よもぎ、そばに乗っている葉にそっくりなので間違い無いと思う)、 紅芋(読谷の芋畑にあったのと似ているので紅芋ということにしておく)、 煙草(少しだけ可愛い花が咲いている株がありました)、 菊(上に電球がぶら下がっていました、電照菊のようです)など色々なものが育てられていました。 砂糖キビは少ししかありませんでした。


畑の中を走った後は丘を下り 「平和祈念公園」 に向かいました。 時刻は午後5時ごろになっていましたが、先程の丘に登るころから天気が回復し、 強烈な西日のために、とてつもなく暑くなりました。 そのため、 公園に着いたら真っ先に売店に行き、シークヮーサーシャーベットを食べました。 柑橘類特有のさっぱりした酸味が美味しかったです。


「平和祈念公園」 は沖縄戦最後の激戦地 「摩文仁(まぶに)の丘」 に設けられた公園です。 中心にある 「平和の礎(いしじ)」 には沖縄戦で亡くなられた一人ひとりの氏名が刻まれています。 民間人と軍人を区別せず、国籍を問わずに対象としていて、 全体で約24万人という膨大な数になっています。 ちなみに、ダイビングを楽しんだ阿嘉島は米軍が最初に上陸した地点です。


「平和の礎」 の中心に 「平和の広場」 があり、その向こう側には太平洋が広がっています。 この付近の海岸線は高さ50mほどの断崖になっていて、荒々しい景観を作っています。


「平和の礎」 の南側の高台から見た 「平和祈念公園」 の北東側半分の様子です。 赤瓦の屋根の建物が 「県立平和祈念資料館」、白い塔が 「平和祈念堂」 です。 左の枠外に 「式典広場」、「平和の丘」 が、背中側に 「国立沖縄戦没者墓苑」 があります。


「平和祈念公園」 を見学した後はなるべく海寄りの道を通るようにして那覇に戻りました。 糸満の市街地に入ったころに日没、豊見城市に入ったころからライトを点けての走行になり、 那覇到着は午後8時ごろになりました。 この日の走行距離は約85Kmでした。

那覇帰着が遅くなったので、この日の夕食はホテル近くの食堂で済ませました。 食べたのは 「ちゃんぽん」 です。 沖縄独特のメニューで、麺類ではなく御飯ものです。 お皿に盛った御飯の上に野菜炒めを卵でとじて乗せたものです。 ボリューム満点で野菜を沢山食べられるのが嬉しいメニューです。